「令和版:無人島に生きる十六人」相武AIの著書のご紹介

令和版:無人島に生きる十六人

相武AIの著書のご紹介

日本が誇る漂流記・無人島生活記である「無人島に生きる十六人」は実話に基づいて難破船の乗組員たちの無人島での生き生きとした暮らしぶりが描かれた長編小説です。須川邦彦氏によって書かれた原作は、明治時代の海洋実話を基にしており、太平洋の無人島での冒険が生き生きと描かれた名作です。ロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記に劣らない胸躍る冒険記ですが、文体や漢字仮名づかいが古く読みにくいため、知名度がもう一つでした。そんな小説の原作の味わいを損ねないように注意しながら現代語訳しました。48枚のカラフルなフルサイズの挿絵が本書を彩り、読者を無人島の冒険へと誘います。

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「無人島に生きる十六人」は、月刊少年雑誌「少年倶楽部」に1941年(昭和16年)10月から翌年10月まで連載された作品です。単行本として出版されたのは1943年(昭和18年)で、「少国民の日本文庫」の一冊として発行されて、その年の野間文芸奨励賞を受賞しました。

著者の須川邦彦氏は1880年(明治13年)に東京に生まれ、1905年(明治38年)東京商船学校航海科を卒業後、大阪商船に入社、日露戦争では水雷敷設隊として、第一次世界大戦では船長として参戦した海の男です。1918年(大正7年)に商船学校教授を拝命、翌年からは東京帝国大学講師を兼任、1921年(大正10年)には欧米に留学しました。1936年(昭和11年)に東京高等商船学校校長となり、翌年退職。退職後4年目に「無人島に生きる十六人」の連載を開始したわけです。

著者が東京高等商船学校の実習学生として練習船に乗り込んでいた1903年(明治36年5月)に教官の中川先生から聞いた体験談を、38年後に海洋事実物語として執筆したという計算になります。(作品中には46年前に聞いた体験談と書かれている。)

日本が真珠湾攻撃により第二次世界大戦に参戦したのは1941年12月8日なので、本書は第二次世界大戦前夜とも言える時期から開戦の約1年後までの、言論統制の厳しい時代に少年雑誌に連載された小説だということを認識する必要があります。

海を愛し、航海を愛する著者が、若い頃に海の男である中川教官から聞いて心を躍らせた、長年心の支えとなった体験談を、自分の話であるかのように生き生きと描いた作品です。ロビンソン・クルーソー、十五少年漂流記、スイスのロビンソンなどの「無人島もの」に心を躍らせて育った青少年にとって、もうひとつの贈り物となる小説だと思います。

「無人島に生きる十六人」の推定数カ月前に執筆された「船は生きてる」は、著者が一等航海士や船長として航海していた時代の体験や見分が生き生きと綴られた本ですが、「無人島に生きる十六人」の原型となるエピソードも収載されています。これまで「船は生きてる」は古書のデジタル画像版しか手に入らず、不鮮明かつ読みにくい文章なので、一般には殆ど知られていませんでしたが、「令和版:船は生きてる」の出版によって多くの人に読まれることを期待しています。

現代語化に至った経緯:

これらの漂流記や無人島ものと比べて「無人島に生きる十六人」の認知度が低いのは、出版後の年数が浅いからです。私は数年前にこの小説の存在を知り、夢中で読みましたが、表記や文体が古くさいことに若干の違和感を覚えました。ロビンソン・クルーソーなどは読む人の年齢層に合わせたバージョンが出版されており、何度も改定されているので、読みやすい文章となっています。「無人島に生きる十六人」の原作の冒頭は:

「これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。

四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。

この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。

見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。

戦前の日本語は現代の日本語と言語的には大差が無いのですが、特に漢字かな遣いにおいて読みにくい文章になっています。最小限の修正を加えつつ漢字かな遣いを現代風にすると以下のようになります。

「これは、今から46年前、私が東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいた時、私たちの教官であった中川倉吉先生から聞いた、先生の体験談で、私が腹の底から感激した、一生忘れられない話である。

46年前といえば、明治36年の5月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に錨を下ろしていた。この船は、800トンの帆船で、甲板から空高く突き立っている3本の太い帆柱には、5本ずつの長い帆桁が取り付けられていた。見上げると、頭上には5本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんと並んでおり、その先は船の外に出ている。」

私は、小学校高学年から中高校生の少年少女が違和感なく読める現代語版を出版したいとかねがね思っていましたが、AIの高機能化の結果、現代語化の作業の相当部分をAIに手伝わせられるようになったので、その作業に踏み切った次第です。

明治時代の話なので「古くさい感じ」も随所に残そうと思い、あえて現代語化しなかった部分もあります。結果として、できる限り原文を損ねずに、現代の子供たちにも楽しめる現代語版になったと思います。

著者は海の男ですので、明治から昭和初期の「文豪」の文章と比べると、細部にアラが散見されることは否定できません。しかし、細かいアラまで修正しようとすれば、原文の雰囲気が損なわれる怖れがあるので、修正したい気持ちをできる限り抑えたつもりです。

前述の通り、言論統制が極めて厳しい時代に、男性向けに書かれた小説であり、大和男児の規律や、国に対する誇りが表現されている部分が、100どこまで著者の本心か、何とも言い難い面があります。私が読者として感じたのは、本当に海、航海、冒険、無人島が好きな少年の心を持った人が書いた小説だということです。純粋にそのような気持ちで読むことで、この作品の真髄に触れられると思います。

挿絵について:

本書には約50のフルサイズの画像が挿絵として収載されており、絵本に負けないほどカラフルな小説になりました。挿絵のうち約40枚は私が本書のために描いたものです。私は文筆家であり、画家やイラストレーターとしての職歴・学歴は皆無なのですが、画像生成AIの発達によって私のような一般人でも自書の挿絵を自分で描ける時代になりました。AIで描くといっても簡単ではなく、どんな絵を描くかを文章で表現するテクニック(テキスト・プロンプティング・テクニック)が鍵になるのですが、一発で思い通りの絵が描けることは稀で、何度もやり直して希望のイメージに近づけていく必要があります。OpenAIがDall-E3を公開するまで、私はStableDiffusion(及びその周辺の)AIを使って主に表紙画像を作成していましたが、表紙1枚あたり、平均約80枚の画像をAIで生成していました。Dall-E3のおかげで、ラッキーなら1回で、通常数回の試行で「使える」画像が得られるようになりました。といってもそのまま使える絵が生成されることは稀で、無人島の絵に建物や人が入っていたり、余計な鳥や船が映りこんだりするため、殆どの場合、手書き修正を加える必要があります。幸い、Adobe PhotoshopやAdobe Illustratorを使えば、高度な修正を加えたり、複数の画像を組み合わせて1枚の画像を作成することが比較的短時間でできます。

個々の画像を批判的な目で見れば完成度が高いとは言えないかもしれませんが、本書の画像を画家やイラストレーターに依頼していたら、1年以上の期間と膨大な費用がかかったはずです。

なお、本書にはpublic domain又はCreative Commons Licenseの画像を元にしたものが数枚含まれていますが、全て何らかの加工(二次創作)が施されているので、決して流用せず、必要な場合はオリジナルの画像(public domain又はCreative Commons)をダウンロードし必要なクレジット表記をしてお使いください。

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